August 28, 2015

MC5 | KICK OUT THE JAMS


長文になりますがFUCT SSDD 2015 FW
欠かす事のできないMC5についてまとめてございます。
ファクト・フリークの皆様、最後までお付き合い下さい。









MC5

60年代アメリカ、MC5はデトロイトに君臨。
国家権力はこのバンドを抹殺しようとした 。
なぜなら彼らMC5は超大国アメリカを震撼させた
カウンター・カルチャーと反戦運動のシンボルだったからである。

音楽ジャーナリズムは最初MC5を無視しやがて酷評した。
汗と油で汚れた工場の町デトロイトの記事よりウェスト・コーストの
フラワー・ムーブメントの方が読者を喜ばせたからである。

一般市民はMC5を憎んだ。
彼らが粗暴でセックスとドラッグを
信奉しとうてい理解不可能だったからである。

他地域のバンドはMC5と同じステージに上がることを拒否した。
反政府と革命を掲げるバンドと混同されることを恐れたからである。

レコード会社はMC5を忌避した。
彼らがもたらすのがトラブルと暴力と破壊に他ならなかったからである。

60年代アメリカ・ミシガン周辺のファンを唯一の例外とし
およそありとあらゆる人々がMC5を不吉なものと忌み嫌ったのである。
 70年代パンクがブレイクした中で再評価がなされ
今日多くのロック・ミュージシャンからMC5がリスペクトを受けているのは
その音楽性もさることながら、彼らが60年代カウンター・カルチャーの
急先鋒として権力と闘ったという事実に負うところも大きい。
何らかの反を掲げるのがロックのスピリットである以上
革命の戦士だったMC5の行動は時代を越えてロッカー達の共感を得るのである。

ヘンリ-・ロリンズが書いた通り
ミック・ジャガ-が鏡の前でポーズを取っていた時
MC5は国家権力と闘っていたのだ。

レイジ・アゲインスト・ザ・マシ-ンが
政治集会で歌っていたのはキック・アウト・ザ・ジャムズのカヴァーなのである。

またMC5はホームタウンと深い関わりを持つバンドでもあった。
アメリカ合衆国ミッド・ウエスト大工業地帯の中心都市で
かつて繁栄を謳歌した自動車産業の都「ミシガン州デトロイト」である。
MC5が活動した60年代後半のデトロイト社会と言えば
「路上には国家警備隊が徘徊し、屋根の上には狙撃兵が身を潜め、
中心部では常に暴動による火災が発生している」(ミック・ファレン)

激動の60年代を象徴する、騒然とした工業都市であった。
彼らはここで地域の警察さらには FBIと
壮絶な闘争を繰り広げながら自分達の音楽スタイルをつちかっていったのだ。
今日、反社会性やヴァイオレンスのポーズを掲げるバンドは多い。
しかし彼らのうちのどれだけが、MC5が遭遇したような
過酷な状況でロックを続けていくだろうか。

だが革命と闘争が支配したバンド史にも関わらず
こうしてさまざまなエピソードや 事件を集めてみて
MC5のストーリーとこの時代がいかにロマンチックであったかあらためて思う。

コルトレーンが流れ、マリファナの紫煙漂う中で
バロウズの一節を口ずさみながら彼らは宇宙と政府打倒と世界転覆を夢見たのである。
MC5ほど過酷で奇異な運命を辿ったバンドはロック史を紐解いてもどこにも見当たらない。

MC5の物語は神話であり
この先世界のいかなるロック・シーンにおいても
2度と起こり得ない、ロマンチック・ロック・アドベンチャーなのだ。

-----以上、MC5 JAPANのHPより抜粋-----

KICK OUT THE JAMS

1968年は、MC5にとってクライマックスとも言える最も劇的な年となった。
この年の1月4日、シンクレアのプロデュ-スによる始めてのレコーディングがデトロイトの
ユナイテッド・サウンド・スタジオで行われこのシングルは3月にA-Squareレーベルからリリースされる。

4月、マーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺されると
デトロイト市警は暴動の発生を恐れ全市に夜間外出禁止令を出した。
これが週末のギグを主な収入源としていたシンクレアのコミューンの経済を直ちにひっ迫させてしまう。
やっと禁止令が解け、ギグのために彼らが出かけていた留守宅に、何者かが放火した。
帰宅したファイブを待っていたのは、消防隊の明らかに度を超した放水により
くるぶしまで水につかった家だった。シンクレアはコミューンの移住を決意する。

翌月トランス・ラブ・エナジーはデトロイト中心部からおよそ40マイルに位置する
学園都市、アン・アーバーのヒル・ストリート1510番地に移転した。
やがてMC5も彼らに合流する。 アン・アーバーの警察はある程度友好的だった。
騒ぎを起こさないという条件で彼らは共存を許される。
しかし電話は盗聴されており彼らの行動はFBIにつつぬけだった。

7月にはシンクレアとフレッド・スミスが逮捕される。
出演料をごまかそうとしたザ・ロフトというクラブのオーナーとシンクレアが
小競り合いをしているところに警官と刑事が現われシンクレアに暴行を加え始め
その騒ぎを聞いて駆け付け助けようとしたフレッドも彼らにメッタ打ちにされた。
証拠写真を取ろうとしたファンのカメラを破壊し
警察は2人を連行したが、保釈金を積んで彼らはかろうじて解放される。 

やがて8月25日、シカゴのリンカーン・パークで民主党全国大会が開催されるのだが
これがMC5も巻き込んでアメリカ現代史に残る大規模な暴力的衝突に発展する。
68年は大統領選挙の年にあたっていた。民主党は現職ジョンソン派の候補
ヒューバート・ハンフリー、平和候補者ユージン・マッカーシー、6月に暗殺された
ロバート・ケネディ支持者の一部を引き継いだジョージ・マクガヴァンの3候補に割れていた。

しかもこの大会に集まったのは民主党関係者だけではなかった。
ジョンソンのベトナム政策に反対する数千人の反戦活動家
さらにはアビー・ホフマンとジェリー・ルービンが1月に結成した
青年国際党 (Youth International Party, YIP) 支持者すなわち、イッピー(Yippies)が
生命の祭典と名付けた自分達の反戦集会を同時に開催するためにシカゴに集結していた。
MC5はこのイッピーの呼び掛けに応じて反戦コンサートに参加するためシカゴにおもむいたのである。

アメリカ全土のバンドが参加を呼び掛けられたがグレイトフル・デッドや
ジェファーソン・エアプレインなどいったんは参加を表明したバンドも
武力衝突の可能性に尻込みし、当日実際に姿を現したのはMC5だけだった。

シカゴ市長リチャード・デイリーは
この民主党全国大会をシカゴ市を宣伝する絶好の機会ととらえていた。
そのため何としてもこれを平穏無事に終わらせようとしており
反体制勢力を押さえ込むためには射殺も辞さずという姿勢でいたのである。

デイリーの要請により、24時間シフトの1万2千人のシカゴ市警の警官
6千人のイリノイ州兵、7千5百人の軍隊がシカゴ市に大集結していた。
また、デモの参加者を装った多くのFBIエージェントも多数加わっていたと言われている。
これらが、何ら直接的行動に出ていなかったデモ参加者に突如襲いかかったのである。
攻撃の標的はデモ隊にとどまらず、多数のカメラマンやジャーナリスト
老人や女性を含む通行人までもが襲撃された。
警官や州兵が無防備な反戦活動家やマスコミ関係者を武器で打ちのめし
催涙ガスを浴びせるショッキングな映像がテレビを通じて全米に放映された。

それはまたアメリカの一般国民がベトナム問題に関し
「どちらの側につくか」という問いを突きつけられた瞬間でもあった。 
市側による襲撃はMC5が数曲を演奏し終えた直後、25日の夜11時に開始された。
MC5は目の前でパニックが始まるのを見てとり、間一髪でその場から逃れたのである。
アン・ア-バ-に命からがら戻ってからも、しばらく催涙ガスで涙が止まらなかったという。
作家ノーマン・メイラーは、「マイアミ、そしてシカゴの包囲攻撃」の中で
このMC5のコンサートの模様を書き記している。

2001年4月、BBCで放映されたヒラリ-・クリントンの
バイオグラフィーをたまたま見ていたらこの民主党大会暴動の映像が突如現われた。
警官による信じ難い暴力!ヒラリー自身は反政府活動家ではなかったが
68年当時法学生であった彼女はシカゴ近郊に住んでおり
この大会を「目撃」するために友人達と出かけて行ったのである。
自分と同年代の学生達が目の前で警官に
叩きのめされるのを目の当たりにしヒラリーは大変なショックを受けたという。 

しかしシカゴ民主党大会の
騒乱の中でMC5のステージに注目する男がいた。
エレクトラ・レコードA&Rのダニー・フィールズである。
彼はほどなく、MC5がストゥージズとジョイントで行なった
アン・アーバーのフィフス・ダイメンションでのギグにやってきて
その晩2つのバンドと契約をまとめた。

9月22日、MC5は2万ドルの前金を手にしてエレクトラとの契約にサインしたのである。
ついにメジャーのレコード会社に才能を認められたという事で、シンクレアやバンドはもちろん
ファンや周囲のアーティスト・支持者など彼らのコミューニティー全員が喜びに沸き立った。
最初のアルバム録音の準備が直ちに開始され、10月30日と31日の2日間
グランディ・ボール・ルームでライブ・アルバムを録ることに決定した。
この時録音されたのが、ロック史に残る名盤 "Kick Out The Jams"である。

-----以上、MC5 JAPANのHPより抜粋-----

写真1枚目... 1969年発売 MC5 『KICK OUT THE JAMS』アルバムジャケット
写真2枚目... 5人が裸の胸にホワイトパンサー党のバッジをつけ
フレッド・スミスがライフルの弾丸肩からかけているショット。
ホワイトパンサー党のプロパガンダとして撮影されたものだった。
写真3枚目...  MC5 LIVE

動画1本目... MC5 / KICK OUT THE JAMS LIVE
動画2本目... RAGE AGAINST THE MACHINEによるKICK OUT THE JAMSのカヴァー

御清聴ありがとうございました。

by Qee / Futoshi Inamura

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