August 09, 2008

WAR IS NOT THE ANSWER



長崎は63回目の原爆忌

我が祖父は傷痍軍人で戦争で右腕を失った

鹿児島・知覧の人で母の実家は特攻基地のそば

知覧においては,昭和16年,大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校され、少年飛行兵・学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を重ねていた。しかし,戦況が緊迫し,昭和20年本土最南端の特攻基地となった。戦局は衰退の一途をたどり,この敗勢を一挙に挽回する手段として,必死必中の体当たり攻撃が敢行されたのである。知覧飛行場は南北2000メートルくらいの滑走路で障害物や小山も少なく離着陸の行いやすい飛行場であった。沖縄戦では,この知覧基地を主軸に万世,都城基地などから出撃し,1035人の隊員が戦死した。最期の日,彼らは「さようなら」と飛行機の翼を上下斜めに降りながら,地上の人々に別れを告げて開聞岳上空に消えていったという。

忌わしい過去

目を背けられない過去

伝えなければならない過去

"反戦" "核兵器廃絶" あるのは滅びのみ

長崎の死没者は14万5984人

ご冥福を祈ります

No comments: